新潟地方裁判所 昭和49年(ワ)161号 判決 1976年1月29日
原告
今井スミ子
ほか四名
被告
諏訪浩一
主文
被告は、原告今井スミ子に対し金三六五万四、四〇八円、原告今井幸子、同今井清美、同今井八重子、同今井政廣に対しそれぞれ金一三一万二、二〇四円を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。
この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告今井スミ子に対し金六二六万四、〇一〇円、原告今井幸子、同今井清美、同今井八重子、同今井政廣に対し、それぞれ金二一八万二、〇〇五円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
一 亡今井政三郎は、昭和四八年一一月一三日午前零時五五分頃、新潟県白根市下塩俵地内の国道八号線を黒埼方面に向かつて歩行中、後方より同国道を進行して来た被告の運転する普通乗用自動車(名古屋五一ふ二一―一三)に衝突されて即死した。
二 右事故の発生地点は歩道がなく、右下塩俵地内に設置されている交叉点より一〇米位手前であるから、かかる地点を車を運転する場合には、前方、左右に注意して運転しなければならない注意義務があるのに、被告はこれを怠り、漫然と運転した過失により、自車を亡今井政三郎に衝突させ即死させたものである。
三 原告らは右被告の不法行為により左記の損害を受けた。
(一) 葬儀費用 四〇万円
原告スミ子は亡政三郎の事故死に伴い葬儀費用として右金額の出捐を余儀なくされた。
(二) 亡政三郎に生じた損害
(1) 逸失利益 一、五〇九万二、〇三〇円
亡政三郎は事故当時三二才の健康な男子であり、板金職人として昭和四〇年頃から新潟県西蒲原郡黒埼町大野所在の高橋板金店に勤務し、年収一一七万〇、三九六円(一ケ月収入金九万七、五三三円)を得ており、年間三五万一、一〇二円(一ケ月二万九、二五九円)を生活費(三〇パーセント)として費消していたので、少くとも年間八一万九、二八四円(一ケ月六万八、二七三円)を毎年失うことになる。そして亡政三郎は本件事故がなければ、少くとも六三才までは就労可能であるので、今後三一年間は、同額以上の収入を得られたはずであるから、これをホフマン式方式(政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準参照)により本件事故死によつて失うべき利益を現価で計算すれば、右金額となる。
(2) 相続
原告らは亡政三郎の妻、子で相続人の全部である。よつて原告スミ子は生存配偶者として、その余の原告らはいずれも子として、それぞれの相続分に応じて原告スミ子において、金五〇三万〇、六七六円、(後記(四)の填補後は三三六万四、〇一〇円)その余の原告らはそれぞれ金二五一万五、三三八円(後記(四)の填補後は一六八万二、〇〇五円)宛亡政三郎の右損害の賠償請求権を相続した。
(三) 原告らの慰藉料 合計四五〇万円
亡政三郎の事故死による原告らの精神的苦痛を慰藉するためには原告スミ子に対し金二五〇万円、その余の原告らに対し各五〇万円が相当である。
(四) 損害の填補
原告らは、自動車損害賠償保障に基き金五〇〇万円の支払を受けたので、これを前記(二)の損害に充当した。
四 よつて、原告らは被告に対し以上の損害賠償請求を有するところ、原告スミ子は逸失利益相続分のうち三三六万四、〇一〇円、慰藉料のうち二五〇万円、葬儀費用四〇万円の合計六二六万四、〇一〇円その余の原告らは、逸失利益相続分のうち各一六八万二、〇〇五円と慰藉料各五〇万円の合計各二一八万二、〇〇五円の各支払を求めるため本訴に及ぶ。
と述べた。
立証として甲第一ないし三号証を提出し、証人大橋幸雄、同高橋昇、同狩谷孝二郎の各証言の結果を援用し、乙号各証はいずれも成立を認める。と述べた。
被告は「原告らの請求はいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、請求原因事実第一項中亡政三郎が原告主張日時・場所で、被告の運転の車と衝突し、死亡したことは認めるが、右の衝突事故により死亡したものではない。第二項中被告に過失があつたとの点は否認。事故発生場所の状況については不知。第三項中(二)の(2)の原告らの相続関係、(四)の損害の填補部分は認め、その余は不知。第四項は争う。
被告の主張
一 被告は原告主張の日時頃、被告車を運転して、時速約六〇キロメートルで事故現場附近国道に差しかかつたところ、事故当時は小雨模様の深夜で街灯もない暗い非市街地の国道上を同一方向に向かつて飲酒酩酊して歩行中の亡政三郎と訴外大橋が被告の進路前方左斜め約一六・五メートル位の道路脇から突然右後方の安全確認をせずに走つて横断をはじめたために、被告はこれを避けきれず衝突させ、亡政三郎を路上に転倒させた、被告は恐ろしさのあまり、その場を立去り、しばらくして後続のトラツクが路上に倒れている亡政三郎を見落し轢過して即死させたものである。右の如き亡政三郎の横断は道路交通法一二条二項に違反し、又は同法一三条一項の趣旨にもとるものであり、亡政三郎の右の行動が本件事故発生に重要な原因を与えていること明らかであり、被告には過失はない。
二 仮りに被告に賠償責任があるとしても、本件事故発生には、前記の如く、右後方に対する安全確認を怠つて横断を開始した亡政三郎の過失も与つて大であるから、賠償額算定につき、右過失は、相当斟酌されるべきである。
と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一 請求原因第一項の事実中事故発生の事実については当事者間に争いがない。
二 そこで請求原因第二項の責任原因およびこれに関する抗弁について判断する。
成立に争いのない乙第一ないし九号証、証人大橋幸雄の証言および被告本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められる。
(1) 本件事故現場は、歩車道の区別のない、車道幅員一〇メートルの国道上であり附近は非市街地であり、交通量は少く、道路両側はガードレールが設置され、ガードレールの内側に白線によつて区画された相当幅の路側帯があり、付近に照明施設はないが見通しはよく、事故発生当時の気象は小雨もようの天気であつた。
(2) 被告は、事故当時、時速約六五キロで加害車を運転し、右国道を三条市方面から新潟市方面に向けて進行し、本件事故現場に差しかかつたところ、自車前方約一〇〇メートルの道路左側の路側帯を示す白線上附近を亡政三郎と訴外大橋幸雄が酒に酔つて肩を組み新潟市方面にふらふらしながら歩いているのを発見したが、そのまま進行し、特に警笛を吹鳴する等のこともなく接近しつつ、亡政三郎らとの距離が約六〇メートル位になつたころ、亡政三郎らが、路側帯をはみ出して西側車線の方に寄つて来たので、被告は進路をセンターライン寄りに変えるとともに、スピードをやや減じて進行した。そして、亡政三郎との距離が約一六・五メートル位に接近したところ、とつぜん両名は道路の反対側方向へ斜めに横歩きで横断を開始しはじめ、被告の進路前方である、自車の車線のほぼ中央附近にまで出て来たため、被告は危険を感じ急制動の措置を講じたが、およばず、自車前部を右両名に衝突させ、訴外大橋を路上にはね飛ばし、亡政三郎を自車ボンネツトの上にはね上げ同人を路上に転落させたが、同人は路上に転倒したまま動かなくなつてしまつた。被告は一旦急停車したものの、恐ろしさのあまり、何んらの救護活動をなすことなく、そのまま同人を路上に放置して逃走した。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
してみると、被告は、小雨模様の深夜の国道上を二人連れが肩をくみ、ふらふらしながら路側帯と車線を区別する白線附近を出入りしながら歩いているのを発見しているのであるから、この様な場合には、不用意に自車前方に飛び出してくる危険のあることを予想し、警笛を吹鳴し車の接近を知らせたり、両名の状況に応じて適宜ハンドル操作等を講ずることが出来るような速度におとして、動静を十分注視しながら進行すべき注意義務があるのに、右の措置をとらず、速度をやや減速したのみで右両名の右脇を通過できるものと軽信し、慢然と進行した点に過失があつたものと認めるのが相当であり、他方亡政三郎においても、照明設備のない暗い国道上を横断するのであるから横断にあたつては、右後方の安全確認をなして横断しなければならぬのに、交通量が少なく、酒の酔も手伝つたとは云え、右後方の安全確認を怠り、斜めにずるずると横断した点に過失が認められるので、右両者の過失を対比して、本件損害額算定にあたり、三割程度の過失相殺を適用するのが相当である。
なお被告は、亡政三郎の死亡について責任はない旨主張しており、被告の加害行為により亡政三郎が即死したか否かについてこれを認めるに足る証拠はないが、亡政三郎を負傷させ転倒したまま動かなくなつているにも拘らず、これを救護することなく深夜の国道上に放置したまま事故現場から逃走したこと前記認定のとおりであるから、亡政三郎の死亡の直接原因が後続の他車による傷害によるものであつたとしても、その死亡との間に被告に責任がないとは到底云えないところである。
三 そこで原告らが本件事故により蒙つた損害額について検討する。
(一) 葬儀費用 金二八万円
証人狩谷孝二郎の証言の結果によると原告スミ子は、亡政三郎の葬儀費用として、少なくとも四〇万円を出損していることが認められるが、亡政三郎の前記過失を斟酌すると、賠償額としては、金二八万円が相当である。
(二) 亡政三郎の逸失利益 金九八七万三、二二二円
(1) 成立に争いのない甲第一号証、証人狩谷孝二郎、同高橋昇の各証言の結果を綜合すると、亡政三郎は昭和一六年八月一六日生まれの健康な男性で、西蒲原郡黒埼町にある高橋板金店において板金工として勤務し、少なくとも原告ら主張の年収一一七万〇、三九六円をあげていたこと、同店においては特に定年等の定めはないが、板金の仕事は各人の身体の工合にもよるが、六〇才位まで働かれ、亡政三郎もその年代までは勤務できるものと認められ、同人の世帯が六人家族であり、事故当時、亡政三郎の収入でその生計を維持していたものと認められるから、亡政三郎は少なくともあと二八年間は前記の年収をあげえたものと認められ、またこれに要する生活費は右収入の三〇パーセントをもつて相当と認められるので、これを控除し、更に復式(年別)ホフマン式計算によつて年五分の中間利息控除の方法によつて、同人の逸失利益の現価は合計一、四一〇万八、八八九円と算定されるところ、前記過失を斟酌すると、九八七万三、二二二円となる。
(2) 亡政三郎の相続人全部が原告らであることは、当事者間に争いがなく、原告スミ子は生存配偶者として、その余の原告らはいずれも子供として、それぞれの法定相続分に従い、原告スミ子は、三二九万一、〇七四円、その余の原告らは各一六四万五、五三七円宛、亡政三郎の右損害賠償請求権を相続したものと認められる。
(三) 慰藉料 合計三七五万円
前記認定の諸事情ことに本件事故態様、亡政三郎の過失割合および証人狩谷孝二郎の証言により認められる示談経過と既に支払われている当事者間に争いのない自賠責任保険からの金額等諸般の事情を考慮すると、原告らの夫であり、父である亡政三郎の本件事故死によつて蒙つた原告らの精神的苦痛を慰藉するため、原告スミ子に対し一七五万円、その余の原告らに対し各五〇万円が相当である。
(四) 損害の填補
原告らが強制保険金五〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがないから、右の金額を相続分に従つて原告らの損害に充当すると、その損害残額は、原告スミ子につき三六五万四、四〇八円、その余の原告らにつき各一三一万二、二〇四円となる。
四 以上のとおりであるから、被告に対する原告らの本訴請求は、原告スミ子において三六五万四、四〇八円、原告幸子、同清美、同八重子および同政廣において、各一三一万二、二〇四円の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山中紀行)